15Dec
月研連の事務局を20年間つとめた淑徳大学の川瀬良美教授は、松本先生についてこんな風に語っています。「松本先生の95歳の誕生日を祝う会」での挨拶からの抜粋。
松本先生のご指導のもと月研連としてのこれらの実績は、先生のご指導の賜物でした。その20年間を振り返りますと様々な想い出があります。月研連の定例会は、日本女子大学での第1回目を皮切りに、会場を同志社大学へ移して皆で京都へ出かけて定例会を開催したこともありました、また、松本先生のご自宅を会場に大勢で押しかけて定例会を開催したこともありました。月研連は有意義な勉強の場であるだけでなく、楽しい交友の場でもありました。これらの20年間を振り返ってあらためて、気づかされたことがあります。その一つは、月研連がスタートした1991年に、松本先生はすでに75歳であったと云うことです。そのことに気づいたのはごく最近のことでした。長い間、お目にかかった時の先生の印象から50代だったのだろうと勘違いをしておりました。自分が60代になって体力や気力の衰えを感じていたので、75歳であった当時の先生の若さとバイタリティーを思い返すと改めて感嘆致します。
もう一つ、印象深かったのは先生のお人柄です。お目にかかった時に先生が、功成り名を遂げた著名な医学者であったことは十分承知しておりました。恐る恐る教えをこうお手紙を出させていただいたのですが「一緒に勉強をしていきましょう」という思いがけないお申し出でに有頂天になって、以来、月研連を通してご指導いただいてまいりました。婦人科学と心理学ということで学際的な研究成果をあげることができたのですが、このことについても近年になって気づいたことがありました。先生ほどのご経歴の方でしたら、心理学会の一流の研究者とでも共同研究ができたでしょう。それなのに、学生に毛の生えた程度の実力しかなかった私達を共同研究者にして下さいました。このことは、先生のお人柄を象徴的に語っています。
月研連が華々しい成果をあげられたのは、もちろん先生の月経研究のご経験と指導力に負うところなのですが、その他の要因として「来る者は拒まず」の先生の基本方針よって、多彩なメンバーが参加されたことでもありました。PMS研究で産学一致の成果を上げられたのも、このような先生の姿勢がもたらしたものであるとつくづく思います。先生は、人に対して、良いところも至らないところもある人間全体として、偏見を持たず、権威によらず、受け入れられるのです。私達は、月研連の場で、不躾にも、度々先生に「どうして先生はそのように寛大なお人柄になったのですか」とお尋ねしました。先生はいつもニコニコしながら「どうしてかね」とお答えになるばかりでした。先生からはこのように、研究のご指導のみならず、人間としての生き方も多く教えていただきました。私の個人的なことを申せばこの20年間で、少し他人に優しく寛容になったかなと感ずることがあるのは、それも月研連で松本先生から学ばせていただいたことです。以下、略.

松本先生の米寿祝賀会(2004年)で松本先生を囲んで、月研連の事務局を20年間一緒に務めた桜美林大学の森教授(左)と川瀬教授(右)